世の中はさまざまな価値観であふれています。一人一人違う価値観を持つ人間が日本だけでも1億2000万人以上もいるのですから当然です。
日本では、行動するかどうかについてメリット・デメリットを天秤にかけるという考え方が何故か悪いことのように扱われ、批判の対象となりがちです。
しかし、物事の判断基準としてメリット・デメリット論を持つ事はそんなに悪い事なのでしょうか?考えをまとめてみます。
1.日本人にメリット・デメリット論は馴染まない?
日本人は古くから助け合い、義理と人情の精神を周囲の人間と上手くやっていく術としてきました。これは世界から度々賞賛されますし、素晴らしい国民性であると思います。
しかし、どんなに素晴らしいものでも度を越すと悪く作用します。
相互扶助の精神がしばしば捻じ曲がって解釈されてしまっているのです。
本来は互いに助け合うというシンプルな意味合いの精神ですが、これに、
(自己を犠牲にしてでも)
という前提条件が取り付けられてしまっているのです。
自己犠牲も時には必要ですが、これが社会通念として蔓延している事はとても恐ろしいものです。
自分のメリットを考える=他人の事は考えない=悪い考え方だ
というような拡大解釈が無意識のうちにされてしまっているのです。
この同調圧力によって、利益拡大や成長できる機会が失われてしまうことすらあります。
2.対処
では、上記のような同調圧力にどう立ち向かえば良いのでしょうか?
・目には目を
メリット・デメリット論に批判的なのであれば、他者にもメリットを与えてやればよいのです。
分かりやすいものとして、友達紹介制度のあるサイトを例に挙げてみます。
Aさんが登録しているサイトに、Bさんを紹介して登録してもらうとAさんに紹介料ということで報酬が付与されます。
これだけだとAさんにのみ利益があり、Bさんは不満を持つかもしれませんが、紹介されたBさんにも報酬が付与されるのです。
これにより、Aさん、Bさんの両者に利益が出るような形となり、不満が出にくくなります。
これに当てはまるような事、つまり、自分だけでなく、他者にも利益があるようなシステムにすればよいのです。そのようにすれば、批判していた側は自分も利益が出ているので批判しにくい立場となります。
・他人の目を気にしない
これはケースバイケースです。あまりにも他人の目を気にしなさすぎるといつの間にか周囲から孤立しかねません。かといって他人の目を気にしすぎることは精神的に参ってしまいます。臨機応変に対応を変えていく必要があります。
この「臨機応変」が中々難しいわけなのですが。
3.まとめ
いろいろと考えてみると、相互扶助の精神は時に形を変え、我々の行動を縛る鎖になっているような気がします。
そして、その鎖に縛られ続けるか抜け出すか決められるのは紛れもなく自分自身のみです。
もっとも、グローバル化が叫ばれて久しい昨今、日本人のこういった精神自体が変革を迫られているようにも感じます。
全ての価値観は一概に「正しい」「間違っている」というように二極化させてカテゴライズすることはできませんが、少なくとも、自分自身が正しいと思う判断軸をきちんと持ちつつ生きていくことが重要であると思います。