「あの人意識高いね」
「うわぁ、意識高い系だわ」
こんな感じで意識の高い人はしばしば馬鹿にされる。
必ず語尾には、(笑)のニュアンスが付いている。
この場合の「意識高い」というのは、何かに向かって一生懸命になっていることを指している。
そんな人間は必死に見え、嘲笑の的になっている。
しかし、意識が高いことは何故そんなに馬鹿にされるのか。
むしろ賞賛されるべきなのではないのか。
普段はそんなこと気にも留めていなかったが、一度気になってしまうと気になって仕方がない性分だ。
頭の中でしばらく考えていた。
そこで思った。
本当に馬鹿にされる対象となるべきは、意識低い系なのではないだろうか、と。
そもそも、自分の人生なのに当の自分自身の意識が高くなくてどうするんだ、という話だ。
馬鹿にしてる人間も、そんな暇があったらもう少し意識を高くした方が、多少有意義な人生が送れるのではないだろうか。
そんな風に思った。
また、同時に思った。
自分が意識を高く持てないから、意識の高い人を馬鹿にしているのではないかと。
正確にいうと、意識を高く持とうとする努力すらしていないのではないだろうか。
難しいことをすぐにできるようになれと言われても無理だ。
野球中継を見たからってすぐに筒香みたいなバッティングができるようになるわけがないし、ライブ映像を見たからってすぐにギターが弾けるようにはならない。
でも可能性はある。「すぐに」は無理でも、練習し続ければいつかなれるかもしれない。
多分、意識を高く持つということのハードルが高すぎて、やる前から諦めてしまっているのだ。
自分自身を諦めてしまっている部分があるのだと思う。
その結果どういう行動をとるか。
それが、意識の高い人を馬鹿にするということだ。
要は、意識の高い他者を嘲笑することで、自分の精神を安定させようとしているに過ぎない。
そこには、意識の高い人への羨望や嫉妬、苛立ち等、様々な感情が入り混じっているのだろう。
しかしそういう人は根本的に理解しないといけないと思う。
いくら他者を嘲笑したところで、自分が上になったわけではないということを。