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おろしポン酢牛丼を頼んだら普通の牛丼が出てきた話

とある夏の日の昼下がり、私は都内を歩いていた。

 

そこそこの歩き疲れを感じつつ空腹にも気付き始めた私は近くにあった大手牛丼チェーン店へと足を運んだ。

 

店内に入った瞬間、それまでの灼熱地獄から一転してとても涼しい。

 

こんな酷暑の中、外で働いている人たちに申し訳なくなるくらいの快適な温度だった。

 

そんな事を感じつつも私は席に座り、メニューを見ながら何を食べようか考えていた。

 

メニューを見ている時はとても楽しい。食べている感触や匂いや味を想像すると単純にテンションが上がる。下手をすると実際に食べている時よりも想像している時の方が幸せなのかもしれない。

 

その日はとても暑く、何かさっぱりとしたものが食べたかった。さっぱりしたものが食べたいのに牛丼屋に行くというのもいささか不可解な行動ではあるかもしれないが、仕方がない。歩き疲れた時に一番距離的に近かったのがそこなのだから。

 

自分の行動の整合性の無さに多少の困惑を覚えながらも、注文するメニューが決まった。

 

おろしポン酢牛丼だ。

 

おろしポン酢は素晴らしい。人類史に残る遺産であり、たとえ人類から様々な記憶が失われたとしてもおろしポン酢の灯だけは絶対に絶やしてはいけないと常々思っている。牛丼という、胃には重めの食べ物に見事に軽さを与えてくれる革命的な食品だ。

 

逸る気持ちを抑えつつ、興奮で声が上ずってしまうのが嫌だったので少しだけ低めの声で「おろしポン酢牛丼ください」と注文した。

 

店員は若い外国人だった。まだ日本に来たばかりなのであろう。辿々しい日本語と仕草で注文を受けていた。

 

遠い国からはるばる日本へ来て、言葉も不自由だろうに、彼は一人でこうやって仕事をしているのだ。もしも何かのドキュメンタリー番組で彼の生い立ちから現在までを特集した番組を観たりしたら確実に泣いてしまう自信はあった。

 

そんな架空の番組に思いを馳せつつ待っていると、5分経たないくらいで品が出てきた。店員が辿々しい日本語で「お待たせしました」と言いながら私の前に品を置いた。私は、よし食べるぞ、と心を躍らせつつ品を見た。

 

品を見ると、そこには熱々の牛丼が君臨していた。神々しい湯気を放つそれは、仏様と見紛う

程の偉大さがあった。思わず最敬礼しそうになるほどであった。空腹とは恐ろしい。

 

しかしその神々しさは、次第に湧き起こる違和感によって打ち消されていく。この違和感は何なのだろうか。考えるまでもなかった。

 

おろしポン酢が付いていない…!?

 

私はそれを理解した時、何とも言えない喪失感が身体中を支配していくのが分かった。それとともに5分程前の事を反芻していた。確かに私は「おろしポン酢牛丼」と注文したはず…

注文した品と一緒についてくる請求書のような紙にも「牛丼」という文字のみが記載されていた。

 

さて、どうしたものか。本来であれば、店員におろしポン酢を注文した旨を伝えて持って来てもらうべきだ。もう口がおろしポン酢牛丼の口になっているのだから尚更だ。

 

しかし、そこで私の持ち前の行動力の無さと奥ゆかしさがいかんなく発揮され、とりあえず周囲を窺うことにした。私以外の客は注文したものがその通りに出てきているかを観察することにしたのだ。

 

すると、思った通りだ。その店員は他の客の注文も間違えていたのだ。そこで私の腹は決まった。どう決まったか。

 

おろしポン酢抜きで食べる。

 

そう、私はそのままの牛丼を食べる事を選択したのだ。苦渋の決断だった。

そうすることに決めた理由は、一言で言えば、親心のようなものだ。

 

日本に来て間もないのに一生懸命仕事をしている彼が、注文を間違えてばかりだとなってしまったらクビになってしまうかもしれない。そうなったら自暴自棄になって祖国の母と誓った約束が守れなくなり……いけない、また妄想のドキュメンタリー番組が始まってしまった。

 

そんな事を考えていたら、おろしポン酢などといういっときの快楽に溺れたばかりに、一人の外国人青年の未来を奪ってしまうような気もした。もうおろしポン酢が薬物なのではないかと思うくらいになっていた。

 

そんな妄想をしていたのと、請求書のようなものにも普通の牛丼分の480円しか記載されていなかったことも相まっての決断だった。

 

なので、私は、さも最初から普通の牛丼を注文してましたよフェイスで牛丼を頬張り、さも最初から普通の牛丼を注文してましたよフェイスで会計を済ませ、さも最初から普通の牛丼を注文してましたよフェイスで店を後にした。

 

………

 

その夜、何かに吸い寄せられるように昼に行った大手牛丼チェーン店の別支店へと足を運んだ。そして「おろしポン酢牛丼」を注文した。