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綿棒で耳かきしている時の幸福感と背徳感

綿棒で耳かきをしている時が幸せだ。

あの何とも言えない解放感。社会の厳しさや生きることの辛さなど、抱えている諸々のストレスから解き放たれる感覚。身体が宙に浮いて空も飛べるはずだなんて思えるくらいだ。ちなみに変な薬に手は出していないことを念のため付け加えておきたい。

 

変な薬は断じてやっていない。しかし綿棒で耳かきをするということはそれに近いものがあると思っている。日常に潜むドラッグといっても過言ではないくらいだ(過言か)。

そう思う理由はいくつかある。解放感(開放感)が味わえるし、ある程度時が経つとまたやりたくなるし、あまりにやらないとムズムズしてくる。これはもはや禁断症状だ。

あと、多分耳かきしている時に何かしら脳から快楽物質が出ているような気がする。ドーパミン的な何かが。

 

快楽はまあ良いのだが、その快楽に副作用があるのではないかと心配になる時がある。

寿命が縮むのか?聴力が低下するのか?もしかしたら運気が下がるのか?だったら風水が効くのか?一度占い師に相談するべきか?洗脳されやしないか?など、懸念と想像ばかりが膨らんでいく。耳かきの事例集があったら是非欲しいくらいだ。

 

快楽と同時に何故か多少の後ろめたさが胸の内に込み上げる。そうだ。これは確実に背徳感だ。やってはいけないことをやっているかのような感覚だ。別にやってもいい事なのに。

おそらくこの背徳感は快楽のせいだ。耳かきをしている時の、あの目をつぶりかけている、あの顔だ。あのフェイスのせいなのだ。あれが人に見せてはいけない気持ち良さ味わいフェイスだからいけないのだ。

自らの醜態を晒すのを避けたい。だから、自分の家や部屋の中でやる=隠れてやる=背徳感という構造になっているに違いない。

 

気持ち良さ味わいフェイスなんてしなくて済むのであれば堂々と外で耳かきができるのだ。そこら辺のと大して変わらない味なのに何故か人気のパンケーキ屋の行列に並んでいる時だって、スタバのテラス席でドヤ顔でパソコンを開きつつコーヒーを飲みながらだってできるのだ。全ての元凶はこの気持ち良さ味わいフェイスにある。

 

では、気持ち良さ味わいフェイスにならないように我慢すればいいじゃん、というと、そう単純な話ではない。簡単に辞められたら苦労しない。気持ち良さ味わいフェイスは耳かきしている時に自然と出てくる顔だ。抗いようがないのだ。

なるほどこれが業か。などとしみじみとした思いに耽っていたらいつの間にか綿棒に手を伸ばしていた。

これはマズい。また気持ち良さ味わいフェイスにっなってしまう。