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時折世の中の全てのものがすごいと思える瞬間がある

毎日ただ何となく生きている。あまり何かに感動するということはあまりない。

何となく仕事に行ったり、何となく食べたり、何となく眠ったり。全てのことがルーティンとなっているような気がする。

工場ラインの流れ作業のようだ。たしかに、一定のことをしているので心の動揺が起こることはあまりない。だから楽だ。しかし何か物足りないような気もしている。面倒な人間だ。

 

そんな私にも、何かを感動的だと思える瞬間が時折ある。

夕日を見た時、歩く人々を見た時、都会の街並みを見た時、自然豊かな山々を見た時。

とにかく何を見たときでも、全てのものがとても新鮮に見えることがある。全てのものが何らかの存在意義や、意味や、目的を持って成り立っている。当たり前のことなのかもしれないが、それがとてもすごいと思える時がある。

 

何と言えばいいのか、自分自身でも言葉を選ぶのが難しいが、「喜怒哀楽」の中で言えば「喜」が一番近い。こんなにすごいものが溢れている空間に、今自分自身が存在できていることがとても嬉しく思える。月並みな言い方になってしまうが、まるで奇跡のようだと。

 

この感覚を味わえるのは、ベンチに座っている時や、電車に乗って車窓を見つめている時等に多い。何も考えず、ぼーっとしている時に、ふと頭の中でそういった感動が芽生えてくる。

 

こういう時、私は人並みの感情を持っていて良かったと心から思う。

元来私は感情なんて持っていても、疲れてしまうだけだと思っているので、意図的に感情をあまり表に出さないようにしている。なるべくいつもフラットさを保っていたいのだ。

しかしいつもいつもそれでは流石に疲れてしまう。だからこそ、私は、全てのものに感動できる瞬間があるというこの感覚を、忘れることなく大切にしたい。

 

感動する時があるからこそ、感情を抑えられる時がある。この二つは全く正反対のようで、実はとても近いものなのかもしれない。

閉めっきりの部屋の窓をたまには開けて新鮮な空気を取り入れるのと同じようなものだ。息苦しくなってしまわないように。