オードリーの若林正恭が好きだ。
かつてのオードリーは、春日俊彰が主役で若林正恭が脇役、いわゆる「じゃない方」という位置づけであった。しかし、若林は今やテレビ番組のMCを数々務めていたり、いくつかエッセイも執筆していたりと、幅広い分野で活躍している。
そんな若林であるが、私はテレビよりもラジオの彼の方が魅力的だと感じる。理由は単純で、より面白いからだ。
ラジオも多少気を遣わなければいけない事もあるであろうが、テレビより断然面白い。
何と表現すればいいか難しいが、若林正恭という人間の“核”に近い部分が垣間見えるように感じるからだ。
私は7,8年ほど前からオードリーのオールナイトニッポンを聴いている。聴いていて感じるのは、年々トークの巧さが増しているということだ。
テンポのあるトークが始まったかと思えば、時折即興コントが始まったりもする。そういった様々な要素を全て引っくるめて、面白さが雪だるま式に増しているように思う。
ラジオ内では、若林と春日それぞれが、直近1週間のうちに自身に起こった事柄を主体としたエピソードトークを展開する。
若林は、ネット通販で買い物をした話や、携帯電話が壊れたので直そうとした話など、我々が日常で馴染みのあるような事柄について話す事が多い。
そのトークの構成と喋りの巧さには下を巻く。
聴き手が話にのめり込みやすく、共感できる話し方だ。
また、彼の卑屈さがとても魅力的だ。生来卑屈な人間である私は、彼にとてもシンパシーを感じる。あらゆる物事を正面からではなく斜めから見ているからだ。
世間一般からすれば屁理屈だと言われるようなことをあえて口にする。それが痛快だ。
自分が普段周囲の目を気にして言いたくても言えないことを代弁してくれているようで、とても清々しい。他者や社会全体への違和感や憤りを話す彼の言葉には、否が応でも共感してしまう。また、そのような凝り固まった価値観や考え方に異を唱える強気な姿勢は、私の理想とする姿でもあり、憧れすら感じる。
ネタやテレビ番組では、ご存知の通り、若林がツッコミで春日がボケである。しかしラジオでは逆になる。それが何とも絶妙だ。元々そうだったと思わせるくらいしっくりくる。
また、ラジオ内では若林は基本的には“キレキャラ”を演じることが多い。
その中でも私が好きな件がある。それは、若林が自らをへり下るようなことを言い、春日がそれに対して同意の相槌を打つとキレるという件だ。
過去の話で私が気に入っているものを挙げると、若林の楽屋に女性タレントが挨拶をしに来た時、着替え中でズボンを履いている最中だったという話だ。
その際、若林が「若林の太もも見てから本番始めたくないだろう」と自ら言い、春日が「そりゃそうだよ、テンション下がっちゃうよ」と相槌を打つ。それに対して若林がキレ出す、という件があった。実に秀逸だ。
話の内容は多々あれど、このような、若林が春日にディスられにいく流れが話の中に突如として出てくる。
最近ではこういったやりとりは、お決まりの件のようになっているが、そうだからこそ余計に面白いのかもしれない。
トーク中にこういった、いわばコントのようなやり取りが織り交ぜられた、緩急自在な喋りは、聞いていて全く飽きないし、いつまででも聞いていられる。ラジオの2時間があっという間に過ぎ去っていく。
思うに、若林正恭という人間に魅力を感じるのは、彼が内なる彼自身と対話している時間が長いように感じとれるからだ。
私自身も、自分の中で、もう一人の自分と対話することが多い。だからそういった人間にとても共感する。
自分自身との長い対話を通し、内にある鬱屈とした感情や世間に対する違和感、やり切れなさを、いかに面白く、かつ、嫌味のないように話をすることができるか、とても考えられているように思う。
また、その根底には、他者と異なることをしたいという欲求と、他者に迎合してしまうやるせなさとが混在しているようにも見える。故に好感がもてる。
これが仮に、自己に全くコンプレックスが無いにもかかわらず、そういった人間を演じているのであればすぐに分かるし、全く共感しないだろう。
若林正恭から感じる陰と陽。その混ざり合った中間地点の部分に私は親しみを覚えているのかもしれない。