飲み会が中盤に差し掛かった頃ぐらいからよく聞かされる言葉がある。
それが
「俺らの頃は」
だ。
その枕詞から始まる話は、大抵興味のない武勇伝や、鬱陶しい教訓じみた話であることが多い。
以前別記事で書いたが、私は価値観の押し付けがこの世で一番嫌いだ。
「俺らの頃は」はそれをとても彷彿とさせる。
「俺らの頃は」には、(お前らもそうしろ)というニュアンスと威圧感とが必ずセットで付いているように感じる。
大体は
①「俺らの頃はこんなに大変だった。」
②「でも今はこうだ」
③「だからお前らは恵まれている」
という三本立てで話が展開されていく。
もはや古典落語の域だ。
「俺らの頃は」という導入を聞けば誰もがピンと来る。
これはあと四半世紀もすれば、芝浜や寿限無に引けを取らない名作になるかもしれない。
そんなくだらない事を頭の中で考えつつも、首を縦に振るとも横に振るともどちらとも言えないような動作をしながら、付け焼き刃の愛想笑いでごまかしながら話を流している(聞いてはいない)。
「俺らの頃は」から始まる話で、代表的なものが「何次会まで飲み会行くか問題」だろう。
一次会が終わって帰ろうとすると
「俺らの頃はなあ、上司が次行くぞって言ったら下は全員付いて行ったもんだぞ(だからお前らもそうするべきだ)」
的な話をされるアレだ。
大体私は
「…(お前らと飲んで何が楽しいんだ。早く帰ってゲームしたい。この時間があったらランク戦何回できると思ってるんだ。ああ、帰りてえ…)」
なんて思いつつも、そんなことはおくびにも出さず、付いて行く。
どうせ覚えていないんだったら、思いっきり顔面を殴ってやってもいいのだが、そこは天性のチキンさが邪魔をして行動に移すことができない。
後は諦めている部分もある。抗ったって仕方がないのだ。
飲み会は川だ。
流れに逆らっても疲れるだけだ。だったら、上流から下流へと流れに身を任せるようにしている方が楽だ。楽というか、それ以外にはどうしようもない。
そしていつまでも「俺らの頃は」という話を聞かされ続けるのだ。
話している方は楽しいのだろうが、聞いてる身にもなってほしい。
ずっと玉音放送を聞かされているような気分だ。私の頭の中はもう考える事を放棄している。終戦だ。
こんなことを堂々と言っているが、あと2,30年もすればそんなことは忘れて、20代の部下に話をしているかもしれない。
もちろん話の枕詞はこれだ。
「俺らの頃は」