人の死。
それは避けては通ることができない事象だ。
遅かれ早かれ、この世に生を受けた命は、産み落とされた瞬間から「死」という不変のゴールに向かって一心不乱に進んでいく。
どんなに才能があっても、頭が良くても、運動神経が良くても、格好良くても、どんなに過ちを犯しても、性格が悪くても、みすぼらしくても、死は必ず全員に訪れる。
この世で「死」だけが生命にとって唯一平等なものであるように思える。
しかし、「死」という事象は不変ではあるが、その解釈は人によって異なる。
ある人は、「心臓が止まることが死だ」と言い、またある人は、「寝たきりになっているのであればそれは死んでいるのと同じだ」と言う。
正解は分からない。
興味深いことは、「本当の死」を誰も知らないということだ。
今生きている人間は当然ながら、死んだことはない。
哲学的な観点や科学的な観点など、様々な切り口から死を語る人はいるが、一括りにしてしまえば、それは全て想像や予測だ。
死人に口なしとはよくいったものだ。
もっと興味深いのは、死者は生前よりも高く評価されるということだ。
同じ作品でも、生きている間より死後の方が高値がつくし、死んだ人は大体生きている間よりも「いい人さ」が格上げされている。
そして、死を「明」と「暗」のどちらで捉えるか、ということについても人それぞれだ。
「明」で捉える人は、「死んだら何もできない」や「まだまだこの世に未練がある」というように、現世に対して何らかの希望を見出している。
「暗」で捉える人は、「死ねば楽になる」とか「死んだら天国に行ける」といったように、現世ではなく、いわゆるあの世や来世に対して希望を抱いている。
これらはどちらが良いとか悪いとか、そういう単純な話ではない。
各人の性格や環境などが複雑に精神に作用して形成されるものだ。
この世にいる誰もが到達したことがない「死」という地点。
必ず誰しもが到達できるのに、人は我先にと死に向かって歩を進めている。
「死」って、そんなに尊いものか?